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山本文緒『ばにらさま』

人と人の距離感や関係性を描くのがとても巧みだなと思う。
山本文緒の短編集『ばにらさま』を読んだ。
収録されている6つの短編には、どうにもならないままならなさや戸惑いも含めて、人と人が生きている限り避けられない関係性の変化が描かれている。
どの登場人物も、彼/彼女らなりの切実さを抱えていて、それでも懸命に生き生活している。
そして人間は歳をとるという、当たり前のことを改めて感じさせられる。

たとえば最後の「子どもおばさん」。
中学の同級生の通夜のあと、同級生三人と喫茶店でパフェを食べた帰りに、自分のことを「子どもおばさん」だなと自覚する。

私は子供だな、おばさんなのに子どもだな、子どもおばさんなのだなと駅の階段を上りながら思った。

一緒に参列した友人たちは結婚もしていて、子どもはもう高校生や大学生になる年だ。
通夜の席では、数珠を持って手を合わせ、ガーゼのハンカチで涙を拭い、ご両親にお悔やみを述べて、きちんとした大人ぶりを発揮していた。
地元に住む同級生たちと別れた「私」は、自分の実家がもうこの町にはないことにひそかに安堵する。

数日後、知らない番号から着信があり、電話に出てみると亡くなった同級生のお兄さんだった。
実はこのお兄さんは「私」の人生初デートの相手で、通夜の時、自分に気がつき会釈してくれたが、「私」は逃げるように会場を出てしまっていた。
そんな相手からの電話に警戒しながら応対すると、お兄さんは妹のことで相談があると言う。

私と彼女はもう七年も会っていなかった。七年も会っていなかった人間は、ものすごく冷たいようだが三年着なかったジャケットみたいだ。かつては必要だったのに急速に色あせて忘れ去られたもの。そういう風に考えたら少し涙が出た。でもその水滴には粘りがなく、つるっと落ちてそれだけだった。

友人とは別の高校に進学して以降、自然に会わなくなり、疎遠になっていたが、三十代のころに偶然再会したのをきっかけに親しくしていた。
しかし、あることがきっかけで再び会わなくなり、それから七年が経過したというのに今更なにをと戸惑う私。
聞けば、妹から「私」に託されたものがあるので受け取ってほしいということだった。
これがきっかけで、「私」の生活はまた思わぬ方向に進んでいく。

人生とは往々にして思い描いていた方に行かないものであるが、その過程で生じる苦悩や葛藤、それを諦めとは違う形で昇華しながら受け入れていく様に、気持ちの良さを覚える。
そんな短編集だと思う。

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