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井上荒野『ママナラナイ』

2023年12月に本屋を始めた。
本屋を始める前と後で変わったことを挙げだすとキリがないのだけれど、そのうちのひとつにジョギングの距離がある。
本屋開業から遡ること1年以上の2022年、ある夏の夜、思い立ってジョギングを始めた。
勢いよく走り出したはいいものの、その勢いが持続したはせいぜい最初の200~300メートルで、そのあとは歩くのとほとんど変わらないくらいのペースで1.5km走った。
これが日課のジョギングのスタートだった。
それから毎晩、少しずつ距離を伸ばしていき、数カ月後には月に200km走れるまでになった。
その月によって増減はあるものの、安定して月に150km以上走っていた。
ジョギングが習慣として定着したということだ。

それが店をオープンした12月以降、まったく走れなくなってしまった。
せいぜい月に50kmというレベルにまで落ち込んだ。
ジョギングをする夜になると、体力が残っていない。
体力が残っていないので、そもそも走りに出ようとならないことが多い。
よしんば今日はいけるかもと外に出ても、すぐにばててしまい長い距離を続けて走ることができなかったりする。
ままならなさを味わう日が続いている。

井上荒野の短編集『ママナラナイ』に収録された10編は、心身のままならなさを抱えた主人公たちの物語だ。
呼吸器系の不調が続く男、恋人の部屋でくしゃみがとまらくなるアパレル店員、耳が遠くなってきた年金暮らしの女性、更年期障害に悩まされる女性。
どの人物も身体の不調が心の不調につながっているように描かれる。
心身の不調との因果は明示されないが、周囲との人間関係に摩擦やすれ違いが生じていて、物語には終始うっすらとした不穏な空気が流れている。
しかし、どの話も読み終えると、ほっとるような、すっきりとするような、晴れやかな感覚をもたらしてくれる。
人生のなかで不意に、あるいは漸進的に訪れる濃い目の機微が、20ページほどの短いストーリーの中に鮮やかに描ききられていて唸るしかないのだ。
人物たちの会話やちょっとした心理描写のなかに現れる人物造形に、どこか自分や身の回りの人を重ねてみているのかもしれない。

「ママナラナイわね、お互いに」

「ママナラナイ」より


なんだかうまくいかないなあと思うことが続いても、そうだよなそうだよなと思わせてくれる短篇集だ。





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