少し前に小学校低学年くらいのお子さんふたりを伴ったお母さんに「ドリルみたいなものはないですよね」と尋ねられた。
ドリルや参考書の類は置いてなく、もちろんそれも承知の上で確認してくれたわけだけど、まあ申し訳ない気持ちにはなる。
マーケティングで、顧客がほしいのはドリルではなく穴だという話があるが、このお母さんに対して真のニーズはなにかとコンサルティング面(ヅラ)で、根掘り葉掘り聞いてみようかと思ったくらいだ。
冗談はさておき、そもそも実用書みたいなものはほとんどないので、そういう店としてやっていくしかないわけだが、一応聞いてくれたのはうれしかったりもする。
このケースに限ったことではないが、「○○はありますか?」と聴かれたとき、その○○は当店の在庫にはない。十中八九ない。あった試しがない、といえば噓になるが数えるほどしかない。
「すみません」と言われた時点で、○○を聞かなくても答えは決まっていて、「ない」だ。悲しいことに。
しかし先日、「『青天』ある?」と訊かれたときは、思わず天を仰いだ。
数えるほどしかない「在庫有り」だったのだから。
トゥース!
さて『百年の孤独』の話だ。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアが時間をかけて発展させた村、マコンドに国から任命されたと町長ドン・アポリナル・モコステがやってくる場面がある。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアはマコンドは自分たちが時間をかけて作ってきたのだから、お上の命令や町長など不要だと反発し、ドン・アポリアル・モコステと対峙する。
政府の援助のないのを怨んだことがないどころか、むしろ、ここの発展を黙って見ていてくれたことを喜んでいる、これから先もそうしてもらいたいと思う、この町を建てたのは、初めてここへ来た人間から、ああしろこうしろと指図されるためではない。ズボンと同じ白のドリルの上衣を着たドン・アポリアル・モコステは、品のよい態度を少しも崩さないで聞いていた。
G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮文庫)
「ドリルの上衣」のドリルは、綾織の厚地綿布で主に作業用のもので、今で言うとチノパンなんかに使われる生地みたい。


